日々の雑文

アラフォー独身OLが生き方に惑ってるブログです。

Facebook、Messengerのオンライン表示が気になるのでオフにした話

見たくない、けど見たい、その人の動向。

見ちゃうけど、見ない方がいい。けど、見ちゃう。

その人の動向が見れちゃうことは、今の私によろしくない。

 

ので、Facebookの設定を変えて、オンラインかどうかがわからないようにしました。

設定を変えるだけなので簡単。

 

でも、気をつけた方が良さそうなことが一つあるので、備忘録として。

 

このオフラインにする設定を、FacebookとMessenger、両方共しなきゃいけないのですよ。

「しなきゃいけない」かどうかは、実際のところわからないのですが・・・

なぜなら、友人たちから自分のアカウントがどう見えているのか試していないから。

 

しかし、Messengerの設定を変えた後に、Facebookで見てみると「オンライン表示をする」ような状態になっている。

設定の連動はされていない模様。

 

その端末で見る限りはオンライン表示されないって意味なのかな…

 

さらに私はMessengerを複数デバイスで使用しており、その一つ一つから設定しなきゃならず。

もっと言うと、Facebookも複数デバイスで使用するので、その一つ一つを設定した。

端末を変更したり増やしたりと、いろいろあったのでそうなったのだけど、使い過ぎ。

てか、履歴残ってるなー。

 

PCとかスマホとかタブレットとか。デバイスの履歴自体を削除してもいいのだけど、

とりあえず見る可能性のある全てのデバイスで、Facebook、Messenger共にオフライン表示するように設定しました。

 

この設定はググればすぐ出てくるし、自分のアカウントの「設定」から探せばすぐわかるので、やり方が難しいということはないのですが、

唯一わからなかったのが、ブラウザからの設定。

2020年5月現在、ブラウザで見るFacebookは、新デザインと旧デザインを切り替えてみることができます。

私は新デザインで見ていますが、この新デザインではどれがオンライン表示・オフライン表示の切り替えができるメニューなのか探すことができませんでした。

結局、旧デザインに飛び、Messengerの友達のアイコンが並ぶ所の「設定(歯車のアイコン)」から切り替えることができました。

 

新デザインのそれ、どこにあるんだろう・・・

 

何はともあれ、自分がオンラインかどうかを他人からも見られないし、

友達がオンラインかどうかも見ることができなくなりました。

 

なんだかスッキリ!

 

友達から削除するほどの仲違いではありませんが、ちょっと距離を置くには、SNS上でも距離を置く方法は良いな、と思いました。

特に私とその人はMessengerで頻繁に連絡していたので。

 

LINEが主流なのかなとは思いますが、私はわりとMessengerでのやりとり気に入ってます。

LINEはスマホタブレットは一つのデバイスでしか使えず、PCでも使えますが、ある時を境にセキュリティが強化されたのか、アプリケーションをアップデートしないと見れなくなり、さらに私の使用OSのバージョンが古いせいなのかなんなのか、新アプリケーションにアップデートできなくなってから、PCでは一切使わずスマホのみとなりました。

Messengerは端末の縛りがないのでラク

キーボードで打った方が早いし。

 

でも、その人とは「秘密のスレッド」なるものを使用しており、それはスマホでしか使えない機能っぽいのだけど…。「秘密のスレッド」はFacebookサイドからも文字情報を取得することができないのだそうな(ホントかな・・・)

「秘密のスレッド」と通常のトークルームと併用して、うまく活用してました。

 

今日はそんな雑談。

 

ココロだけ二十歳前後の人の恋愛観に刺さってくる歌

ラジオで流れていて気になっていたバンド「アカシック

仕事中急に思い立って探してみた。

2019年に既に解散しているみたい。残念。

 

aiko大塚愛を足して2で割ったような感じなんだけど、

そこにさらに洒落た要素が加わっている。(語彙力・・・)

 

8ミリフィルム」という曲、好き。

 

 

 自分の今の状況に8割方一致している気がする。。。

 

君の才能が欲しかった

超好きだったのにな

 

うんうん・・・

 

誰とも結婚なんてしないで

サヨナラだけして

 

うーー。。。

 

多分、二十歳前後くらいの女の子の恋愛を描いてると思うんですけどね。

私、もうだいぶいい大人なんですけど、「女子大生の恋愛観」みたいなことを揶揄されたこともあり、こういう共感の心とかは自らの胸の内にそっとしまっておこうと思う今日この頃。

(ここに書いてしまってるけど)

 

とはいえ、大人ならではの割り切りとか我慢もありますし、当時では考えられないことも許容できるようになったりとか、一応いろいろあるんですよ。。。

 

 

これ、ギターで弾けるかな?と思って、ギターコードを何かと利用させていただいている「U-フレット」さんでチェック。

www.ufret.jp

 

簡単弾きでもセーハがあって難しそうだな〜

 

最近は気になる曲があると、ギターで弾けるかどうかを調べるようになってしまった。

 

週末はギターをいっぱい弾きたい。そしてそろそろ自分のギター買わなきゃな。

 

コロナ禍でやってる趣味

方向性を見失いがちな最近の時世と、私のブログ。

南米で発生した地震により日本に津波がやってくるくらいの影響力で、コロナの煽りをばっちり受けてしまった私のプライベート。心に傷を負っている今日この頃。

 

そのプライベートの出来事は常々私の思考を占拠し続けており、他のことを考える余裕があまりなかったのだが、いつまでも堂々巡りのその事案に首を突っ込んでいるわけにもいかないので、いよいよ見切りを付けたのが昨日。

とはいえ、細々と続けてきたこともある。

 

というわけで、突然の趣味の整理。

 

最近の私がやっていることで人に言えること。ちゃんとやってる順に。

・ギター

・英会話

・自宅でエアロバイクこぎこぎ

・自宅でヨガ

・FX(休眠中)

 

って感じかなぁ。

 

ギターは5月1日から開始し、レパートリーは5曲ほど。

アパートでは近所迷惑になるので、近所でもない河川敷まで車で行き、後部のハッチバックを開けてジャカジャカやってます。

 

英会話は惰性で続いており、コロナ禍においてもなんだかんだと教室でレッスンしてました。

発音が強化されているクラスに最近移行。自分よりもレベル高めのクラスの方がやり甲斐があり楽しいです。

こちらはそれほど語ることはないかな。語学習得的な見地で書けるほどの情熱もないし、こちらは楽しければ良いという感覚で続けていること。

 

エアロバイクとヨガ。これは、最近たるみきった身体を引き締めたく・・・

昨日くらいからいよいよこれはまずいと思いはじめて、どうにかしたいと画策中。

ヨガはスタジオに通うのはまだちょっとイヤなので、自宅で行いたいのだが、

存分に手足を伸ばせるスペースがなく。(ないわけではないが、シークエンスに集中できるほどの余裕がない・・・。ヨガは環境が大事だと思う。)

結局、アパートの自室ではエアロバイクが最適?と思って、友達と電話しながら漕いでいます。

同時に食事も気をつけないとだなぁ。間食をやめよう。。。

 

FXは、GW突入直前に某マーケットの大暴落にハマってしまい、10万の損失を出しました。その口座で始めたばかりだったのに…

しかも、出るタイミングをちょっと間違えてしまっての暴落だったのでショックが大きかった。

 

他にもやりたいことはあるけど、今はこの辺りをメインに。

本当はテニスしたり、バイクに乗ったりしたいんですよね〜

 

趣味の話も追々書いていきたいな。

初心者で最近はじめたギターは特に。初心者だからこその新鮮な記憶がある内に。

 

でも、細かく文書化するよりも、身体で感覚でどんどん習得して上達したいという状況だから、振り返り作業をあまりきちんとできないかも。コツや備忘録をメモ程度に書きたいな。

 

まあ、ずっと停滞しているよりも、少しずつでも進んで行かなきゃね。

気楽にね。

 

【母の首を締めた…26歳の娘逮捕】のニュースで思うこと

この手のニュースは胸が痛みます。

 

母の首を締めた…26歳の娘逮捕、母親を殺害した疑い 2人暮らし、数年前から介護「疲れた」/大宮東署

 https://www.saitama-np.co.jp/news/2020/05/08/04_.html 

 

 

私は23歳の頃、父の闘病生活を支えていました。私の場合は約1年間と、親の介護などをされている人と比べたらかなり短期間ではありましたが、「一体この生活がいつまで続くのだろう」と暗い気持ちになることもよくありました。

 

当時の私は大学を卒業したばかり。就職氷河期真っ只中の煽りを受け(今思えばそれは言い訳でしかなく、就職しようという気持ちで真面目に活動していればちゃんと就職できたと思う)、地元に戻ってフリーターだった私は、親のガン発覚により親の闘病を支えながら働く生活に突入した。私は父と二人暮らしで、親戚縁者は近隣にはいなかった。

友人たちも同じく大学を卒業したばかり。仕事に遊びに忙しい時期。当然話は合わない。

そのため、あの頃連絡を取っていた友人は二人だけ。

大学時代の元カレと地元の親友だけなのだが、地元の親友にだって滅多に連絡は取らなかった。というか、取れなかった。

私の話題は先の見えない父の症状や、父との生活の鬱々とした愚痴。かたや友人は、新社会人としてキラキラと奮闘する日々。友人だって私なんかと話したくないだろうし、私も友人と話したくなかった。

唯一毎晩電話で私の愚痴を聞いてくれたのは二つ年上の元カレ。彼だって社会人2〜3年で、本当に楽しい時期だったに違いない。それでも夜な夜な私の電話の相手をしてくれていた。私にはそれが本当に救いだった。彼には今でも感謝してもしきれない。もう連絡は取れないけど。

外部との接触はそのくらい。あとは、父の病院の看護師さんとか。

 

父の場合は治療のためにしばらく入院したり、症状が落ち着いている間は退院して通常どおり仕事をしたりと、わりと変化が多かった。それも今思えば救いである。

父の退職日は死亡した日。彼が死ぬまでエンジニアであり続けたことは、彼自身の誇りであり、遠まわしに娘の自己満足でもある。

葬儀場から火葬場へ遺体を搬送する際、遠回りではあるが父の会社を通っていってくれたこと、その粋な計らいと、父の会社の方々が会社の前で出迎え、見送ってくれたことは、これもまた遺族として感謝してもしきれないことであった。

 

話は逸れたし、なぜか「感謝してもしきれないこと」をしきりに思い出してしまうのですが、

詰まるところ、父の闘病を支える生活はそれなりにキツかったということです。

 

父本人が辛いのは当然だけど、それを傍で見ている人間(=私)も辛い。

父本人はいろいろとストレスが溜まったり不安になったり苦しんだりする。

それはダイレクトに私にくる。

私自身はアルバイトをしながら、父の暮らしを支える(主に食事を作るなどの家事を行う)わけだが、本当は就職がしたい。

周りは着々と社会人として歩みを進めているのに、私はずっと進むことができない。ものすごいジレンマだった。

当然父だって娘を苦しめていることはわかっている。しかし、赤の他人が闘病を支えてくれるわけでもないし、娘を頼らざるを得ないし、残された時間を娘と過ごしたかったと思う。ちなみに、実は兄が二人いるのだが、兄達にも仕事があったため、頼りにくかったと思われる。たまたま私がフリーターだったから良かったんだけど、フリーターだから頼ったのか、女だからどうにでもなるだろうと思って頼ったのか、知る由もない。

 

そんなこんなで、26歳の女性が母親を殺めてしまったこのニュースは、状況が想像できるので本当に心が苦しいのである。

26歳。ほんとに、誰にも相談できないし、誰にもわかってもらえない悩みを抱えていたと思うんですよ。

 

年をとっていればいいってものでもないけど、若年者が介護で犠牲になるのは本当にもったいないし苦しいもの。あのキラキラとした日々が鬱屈した毎日に掻き消されてしまうなんて、母親も苦しかっただろう。

 

当時23歳だった私に、病院の人たちは皆口を揃えて、「看護師になりなよ!あなたならできるわよ!」って言ってくれたなぁ。今思うと、それも本当にありがたい話なのよ。

病院の人たちは、医師、看護師、介助してくださるいろんな方々、本当にみんな優しくて、言葉を慎重に選びながら、常に患者である父、患者の家族である私に寄り添ってくれたなぁ。本当に尊い仕事。このコロナ禍でもみんなが言っているように、医療従事者のみなさんには感謝してもしきれない。

 

26歳。辛かっただろうな。

少しでも救いがどこかにあれば良かったのだけど。

無意味なポジティブは問題解決できない

【タイトルの理由をすぐに見たい方は★マークまでスクロールしてね】

 

ここのところ、このつぶやき的ブログも、記事を途中まで書いてはなんだかまとまらずにそのまま放置していたり、私生活でもあることに気を取られて、気持ちばかり焦っていた。

 

いきなり脱線するけど「気持ちばかり焦る」って変な言葉だな。

「焦る」は自分の気持ちなんだから、それ以外に焦るものってない。

気持ちばかり焦るのは、至極当然の状況だというのに。

 

この焦っている状況を正確に紐解くと、

1.自分だけがいろんな妄想により不安に陥り、

2.その不安の要因が自分ではなく他者の言動に基づくものだと気付き

3.その他者に対して言動の改善(言ってほしい言葉、してほしい行動、未来へのなんらかの約束など)を求めようとしてしまう

4.しかし、その特定の他者は自分の思い通りには動いてくれない

 

というのが、今私に起きている「気持ちばかり焦る」状態だと推測できる。

 

ここ数日、その焦りを特定の他者にぶつけたものの、スポンジの如くふわーんと何の跳ね返りもないような反応が続いていたが、昨日少しだけその焦る気持ちが伝わったように思う。

一方私は私で、「なんでこんなに焦ってるんだろうなぁ」と、ふと客観視しはじめた状況。

自分の焦りにより上記1〜4を繰り返すことは全くもって好ましくないことではあるのだけど、もがいた結果、この泳ぎにくいプールの中で(イメージとしては、ゼリー状の水って感じ…)少しだけうまく泳ぐ術が見つかったような、そんな気分。

 

私の人生は総じてうまくいってない。

だけど、私の人生に限ったことではなく、もしかしたらみんな同じかもしれない。

さらに、感じ方・捉え方は人それぞれだから、人によってはそれほどネガティブに捉えていないかもしれないし、私よりもネガティブな人もいると思う。

まあ、あくまで自己申告の「うまくいってない」。

うまくいかないのがデフォルトの人生なのである。

 

うまくいかなくて泣いた日もたくさんある。年齢を重ねて、そこまで悲しくなることはなくなったけど、若い頃は泣いたり笑ったり忙しかったな。

そんな中で私が自分の感情と向き合ってコントロールすることができたのは、自分の感情や起こった出来事を一つ一つ紐解いていくという行為によってだった。それは日記に記すこと。

何が起きたのか、何が自分の感情を揺さぶったのか、

その原因、それに対しても思い、さらにはなぜそう思うのかなど、しつこいほどに深掘りした。

そうすることで、悲しみや苦しみの要因を追求し、そんなことが原因であるならそれは無視しておけばよいとか、自分なりの解決策まで落とし込んでいた。

 

あまりに苦しい渦中にいる時は、なかなかそれを冷静に行うことができず、少し時間がかかってしまったりする。

だけど、それによって随分自分自身を慰めることができたなぁ、と思う。

わけもなく爆発したりが、減ったというか。

 

今もそれが活きている。本当はモヤモヤしはじめた時点で実行するのが理想かもしれないけど、特定の他者に対して迷惑はかけつつも、その他者を攻撃し続けて自分も相手も撃沈ってことは防げそうだから、自分なりの処世術・解決法が活きてるってことでいいと思う。

 

【★タイトルの理由はココから★】

 

私は無意味なポジティブは好きじゃない。

「そのことは忘れて、次!」という前向き思考も大事なのはよく知ってる。

でも、それを思考の先頭に持ってくるのは危険だ。なぜなら、ダメな原因に全く向き合わないからである。

いろいろ悩んだけど、これ以上は考えても無駄だな、ってところで「次!」とか「忘れよう!」って切り替えるのは非常に大事なんだけど、何も考えもしないでいきなり忘れるのは、将来的に同じことを繰り返すだけの人になる。問題解決できない幼稚な思考の大人は案外多い。

 

さらに、他人の悩みを聞いた時に即「忘れよう!次!」とかいう、全くアドバイスにならないアドバイスをする人がいるけど、本当に幼稚で失礼なアドバイスだなと内心思っている。

人の話を聞いてないし、相手の思考の深耕度合いをみくびってると思うんだよね。。

 

まあ時に、ダメな理由に向き合う時間自体が無駄な事象というのも存在しますけど…

 他人様のお悩みについては、本当の問題点は悩んでることとは全く別の所にあったということがよくあるので、その人を救いたいと思うならば、先入観を捨てて話をよく聞くことが大切です。この話はまた機会があったら書きたいと思います。

 

うまくいかないのは当たり前。

うまくいきそう!って思っても、どんなに真っすぐな道でもいきなり全部青信号になるということはない。仮に全部青信号の状態だったとしても、進んでいる間に赤になることはある。一旦停止しなきゃいけないことはままあるものだ。

 

自分なりに一つずつ、向き合ったり、解決したり、時を待ったりしよう。

 

二つの世界

今、心が乱れている。気持ちがひとところに留まらずウロウロとしている。「落ち着かない」とか「心許ない」とか「ざわつく」とか、そういう状態。週末もいろいろな出来事があり、落ち着かないまま週末が終わって今日が始まった。週末にやろうと思っていた仕事は一つも手をつけられなかった。当たり前だけど、それでも仕事をしなければいけない。自分の気持ちとは全く関係のない文章を書かなければいけない。いついかなる時も同じクオリティで書かなきゃいけない。それがプロってやつだからさ。

 

ひとまず、今の気持ちを文字に起こしてみることで何か整理がつくかもしれないと思い、書いてみている。打ち込む文字に引っ張られるように、磁石に集まる砂鉄のように、思考がひとところに集まってくるような気がする。文字の軌跡に合わせて気持ちがくっついてくる。

でも、完全ではない。重く動かない思いが、まだらに居座っている。これが厄介なんだ。

 

離れていると、それぞれの世界で思考が進む。二つの世界が交わらないままなら事が起きることはないけれど、二人は惹かれあって時に世界が交差する。互いに互いを思いながら世界を重ね合わせることができれば、穏やかにまた互いの世界を求め合うことができる。二つの世界に敬意や思いやりを持てないと、片方を羨み、その世界の住民に嫉妬する。二つの世界のバランスが崩れてしまう。

 

私があなたの世界に嫉妬したからダメだったの?

あなたが私の世界に関心を寄せなかったからダメだったの?

 

そもそも「ダメ」だったのかな。

このままダメになってしまうの?

マスク2枚

安倍首相が言うことが、彼一人の考えではないことなどわかっている。

マスク2枚。

一体誰がこんなアイデアを思いついたのか。

思いついて、周囲との話合いを経て、

「首相、マスク2枚、国民に配布したらいいでしょう」と言って、

それだって首相周辺も聞いていて、

「それって…(呆)」

という反応を示す者が一人もいなかったというのが恐ろしい。

上記登場人物は総じて税金で食ってる人たち。

 

もしかしたら、呆れて嘲笑した人もいたかもしれないけど、

そうはっきり言えない空気だということ。

 

この感じは、私がいるような小さな企業でも、客先の企業でも見られる光景である。

国民を指揮しなければならない機関でも同じ状況なんだね、

なんて笑い話にすらならない。

 

こんな事態を誰も予想していなかったとはいえ、あまりにもお粗末だな。

政治に興味のない私ですら、何かを言いたくなる状況。