日々の雑文

アラフォー独身OLが生き方に惑ってるブログです。

「大丈夫」の言葉は無責任なのか|簡単には受け入れられない助言

週末、とても嫌なことがあった。

私の数少ない「頼れるかもしれない身近な年長者」に嫌なことを言われた。

嫌なことというか、今の私は認めたくない、受け入れたくない、聞きたくない言葉だった。裏を返せば、本当は受け入れなければいけない言葉ということ。

だけど、そう易々と受け入れられるものでもない。薬の副作用みたいなもので、週末の間は怒りと悲しさでいっぱいの重度な拒絶反応が出た。

 

そして月曜の今、ようやく上記のような考えに落ち着いてきた。

「あの人は、私のことが嫌いで嫌なことを言っているのだろう」という拒絶から、「あの人はよくぞはっきりと、一生懸命、私が嫌がることを貫き主張したのだな」という気持ちになってきた。

ある意味、「過去一度も関わることのなかった、勇敢なる身近な年長者」かもしれない。

 

助言というのはとても難しい。

助言は常に相手に歓迎されるものではない。

そもそも助言が必要な状況であるわけだから、相手が進もうと思っている方向性とは逆のことをいう筈である。相手は反発したり落胆するケースが多いと思う。反発を押し切ってもなお、相手を制するということはとてもエネルギーを要する。

助言を受け入れてもらいやすくする話術、テクニックもさることながら、慎重に言葉を選び、相手の反応によっては根気よく相手の心に寄り添い続けたり、時に突き放したり(パフォーマンスとしての突き放しであり、心から突き放しているわけではない)、全ての助言はただ言葉を発すれば済む話ではない。

ただ助言という言葉を発したいだけの人は、そこまで親身にはなってくれない。相手の拒絶の気配を少しでもキャッチしたら、耳障りの良い言葉で衝突を回避するだろう。

この世は人生指南のような一言の助言で溢れているけど、汎用性のある助言よりも、一人ひとりに向けたオリジナルの助言というのは、たった一言で済む話ではないのである。どのような関係の誰が発した言葉か、どのような過程を経ての言葉か、さまざまなシチュエーション、タイミングが融合しての「助言」という長めのセンテンスである筈だ。

 

前置きが長くなったけど、私はある方から助言を頂戴し、ひどく落ち込んでしまった。また、自分の考えを固め始めたところで、強い反対意見を言われたため大混乱。振り出しに戻った気分…

 

そんな折、Twitterでふと目にした「大丈夫」という言葉。

「あなたは大丈夫だよ」と背中をさすってくれるような優しい言葉は、砂漠の真ん中に放り投げられたかのような私にとって命の水だった。一体全体何がどう大丈夫なのかはわからないけど、傷つき疲れ果てた私を包み込み、もう一度立て直していく糧となる心強い一言だった。

 

それにしても、この「大丈夫」という言葉、上司などに深刻に業務相談したものの「あー、それ?だいじょぶだいじょぶ」などと軽薄に言われてイラッとした経験などはないだろうか。問題を確認もせず、よく考えもせず「大丈夫」と言われると、こっちは考えに考えて悩んでいるのに、とても軽率で無責任な感じがする。

「大丈夫」も前述の「助言」と同じで、シチュエーションや背景が違えば、同じ言葉でもありがたがられたり拒絶されたりする。助言が「大丈夫」だったりもするしね。

振り返って考えると、軽率に言われてムッとしたケースの方が数多く思い出される。

 

「大丈夫」って、何が大丈夫なんでしょう?

 

今回私が安らぎを感じた「大丈夫」は、その時は何が良かったのかわからなくて、無条件に安心した。そして、後になって気付いた。

私がある人からの助言に傷つき、それでもそのことについてもう一度考えを構築させていったこと。多分、それこそが「大丈夫」ってことなんだろうと思った。

 

「大丈夫、あなたは自分で答えを出せる」

 

「大丈夫」は、物事が万事解決します、という予言ではない。解決するのはあくまで本人。悩める本人が自分の力で考えて、もう一度立ち上がっていけることを示唆する。自分自身で納得いく答えにあなたはちゃんと辿り着けますよ、という予言。

 

イラッとくる「大丈夫」は多分、相談者の「悩みまくる苦しさ」をケアできていないからイラッとくるのである。「相談して損した」という気にさせられる。

「助言」に関しても同じで、頭ごなしに否定されると、相談者が導き出した答えの志向プロセスを全無視しているように聞こえる。

 

助言者にも言い分はあるだろう。自分のことでもないのに話を聞いてやっている。全く自分と関係のない事象であるから、本当はどう転んだところで関係ない。本人は悩んでいるけど、最終的に本人が幸せであるなら何だっていい。などなど、基本的に「どうでもいい」「好きにすれば」なことが大半であると思う。

 

結局は自分でしか答えは出せない。

 

大丈夫、答えはちゃんと自分の中から出てくるから。