うつっぽい気持ち
この数ヶ月間、ちょっとうつなんじゃないかと思っている。
私はうつ病と診断された過去もないし、うつ病経験のある先輩からは「鬱かも?と思う内は鬱じゃない」等言われており、その観点からするとうつではないように思う。
しかし、ここ数ヶ月間、何においてもやる気が起きず、仕事をしたり朝起きたりのルーティンにやる気がないのはもちろんのこと、ご飯を食べるのも全然テンションが上がらない。
やる気のなさは部屋の様子に特に表れており、部屋は散らかっている。片付けたい。まずは部屋の一角、何か一つでも片付けようと思う。しかし、そのちょっとの行動すらやる気が起きない。元々ズボラな性格ということもあり、自覚しにくいのだけど、ちょっと通常とは違うメンタルなのではと疑い始めているところである。
何だか気分が落ちているというのは間違いない。その原因も、何となくこの辺かなと目星はついている。
それならば、そこを改善すればいいようにも思うが、どうにも解決の糸口がない。解決どころかむしろ悪化。手詰まり感が否めない。
生々しく記載するのは今は避けたい。簡単にいうと、目下人生の目標としていたものを失いつつあり、途方に暮れている。辛い。
最近の心理テストではないが、行動や思考の基盤が「自分軸」の人と「他人軸」の人があるという。私は完全に「他人軸」の人間である。心理テストとしては、いくつかの質問を経てそのタイプが決まるのだが、私はテストをやらなくても他人軸であることは自覚しているし、質問を経てももちろん他人軸。
遡れば、幼少期から周りの言動を見て自分の身の振りを決めていた。思春期の頃は、行動や思考の根幹は父親がどう思うかだったし、社会人になってからも、誰かのため、誰かが喜ぶから、誰かに見せたいから等が行動の基準となっていた。友人と遊ぶ時も、友人が何をしたいかが主軸にある。
顔色を窺っているとかそういうのではない、他人の喜びが自分の喜びなのである。
それでも、自分のやりたいことも時にはあって、一人であれこれするのだが、「単独行動」なのである。自分のやりたいことは全て一人で行う。他人がいたのでは、自分のやりたいことができないからである。
年齢を重ね、あまり自分がやりたいことというのが減ってきた。コロナ禍も手伝って、行動範囲が狭くなっていったし、人とも会わなくなった。そう、人と会わなくなったことにより、自分の喜びがなくなってしまったのである。
自分のやりたいことは一つしかない。しかし、それも叶いそうもない。
さらには、人と会わないから新たにやりたいことが浮かんでこないのである。
その考えに至り、あぁ、だからか・・・と、思った。
人に会わないことで、鬱々としているのだ。それが、ただ一つの目標も叶わないことで、余計に鬱々とした。人と会わないから、それ以外の目標も見出すことができないのである。
さっき、久しぶりの人に会った。前向きな場であった人たち。偶然にも、その時の他の知人にも会い、少し会話をすることができた。
「コロナが落ち着いたら会おうね」
なんて、最近の挨拶の常套文句みたいになっているが、コロナが落ち着いた暁に人と会っていたのでは、私は死んでしまうのではないかと思う。
私はどうも、人と会わなければ、人生を前に進めていけないタイプの人間だったのだ。
今更そんな人間であることに激しく後悔するも、後の祭り。
コロナ禍では難しいが、それでも積極的に人と会っていかなければ、たった一つの目標とは違う別の目標を作っていかなければ、本当に私は死んでしまうと思う。
一方で、一つの目標が叶わないことが私を鬱々とした気持ちにさせており、人に会いたくない気持ちを増長しているのも自覚している。
それもまた苦しい。
でも、人に会った方が、そのたった一つの目標の呪縛を離れ、もっと前向きに生きられるのではないかと思った。
とりとめのない乱文だな。。。
うまく整理できていない。でも吐き出したい。この気分はずっと苦しい。
うつっぽい気持ちから抜け出したい。