日々の雑文

アラフォー独身OLが生き方に惑ってるブログです。

輪廻が本当にあるかはあまり問題ではないのです

 

彼は言った。

「輪廻転生なんてありませんよ。死んだらそれで終わりです」

 

実に彼らしい発言。驚きはない。

「まあ、そうでしょうね」と言わんばかりの、生意気な表情しか私は浮かべられなかった。

 

輪廻があるかないか、それはわからない。

そして、あるのかないのかは全く問題ではない。

あってもなくても、現世の私に支障なし。

 

だけど、輪廻があると“思う”だけでちょっと、

ほんのちょっとだけ、心に余裕が生まれることもあるんだってこと。

心の中に隙間がないほど埋め尽くされた“何か”に苦しんでいる人にとって、

そのほんのちょっとの隙間が、息をするために必要だということを、

私は言いたかっただけなんだ。

 

死んだら何もない。無がひたすら続くだけだ。

うん、私もそう思ってるよ。

 

彼は、自分がここに有る間に、力一杯生きたいんだ。

死ぬまで全力で走り抜けたいんだ。

行けるところまで行きたいんだ。

山のてっぺんの遥か上の彼方まで。

できるだけ高い場所で世界を見たいんだ。

彼のその強さを、私は見てきた。

知ってるよ。「次がある」なんて、一瞬の隙も自分に与えたくないことを。

 

「いえ、僕は科学的にないと言ってるんです」

と、彼は言う。

私は、「話の通じない奴だな」って顔で彼を見る。

彼の髪をくしゃくしゃにして意地悪してやりたいと思ってしまう。

私も輪廻なんてどっちでもよくて、今この世で彼と生きていたい。

彼と一緒に世界を見たいんだ。

 

人との出会いは人生をキラキラと輝かせる。

不思議だ。相手もまた、ただの同じ人間のはずなのに、どうしてこんなにも心が弾むの。

どうしていつも、彼は私に希望を見せるの。

 

次、

もしも次があったら、

今度は私が一番にあなたに会いたいのに。

 

出会いのあとには別れがある。

大なり小なり、ひとときの静寂がやってくる。

嵐のあとの穏やかな快晴か、風向きが変わる前の夕凪か。

またうまく風に乗っていければいいのだけど、時に、空から蓋をされたみたいに空気が全く動かなくなる時がある。

自分の体の半分以上が、その人と共に消え去ってしまったかのように。

 

輪廻はその無風を乗り越えるための、一つの考え方だと思う。

また会える可能性。それは暗闇に差す一筋の光。

またいつか、その人に会った時のために、楽しい話題を見つけて生きる。

その人がいなくなった世界のその後の話を、してあげたいじゃないの。

 

輪廻は、再会するまでの希望。

残された時間にはまた、新しい出会いがあって別れがある。

私たちはいつも、それを繰り返している。

死が、私と世界を分かつまで。