日々の雑文

アラフォー独身OLが生き方に惑ってるブログです。

下書き記事は心のもやもや

お久しぶりですって言っても、私のことなんて誰だかわからない。大量に押し寄せる情報の一つ。情報ですらない情報の一つ。

 

たまに思い出しては、読者登録させてもらっている方々のブログに目を通す。いろんな人の想いが溢れている。見知らぬ人のあたたかな部分にふいに触れたかのよう。一瞬のふれあいなのに、瞬時にその人の背景が伝わってくるようなことがある。電車や車の車窓から、どんどん後ろに吹き飛ばされていく景色みたいに。

 

電車や新幹線に乗って外を眺めていると、それらの通り過ぎていくものが愛おしく思える。車の時は助手席か後部座席に乗った時しか体験できなくて、近年は車でのその体験があまりない。誰かの車に乗っても、会話に集中しなきゃいけないことがほとんどだから。ぼんやりと窓の外を眺めていられるのは、三人以上の複数人で乗って運転をしない時と、家族と乗っている時だけだ。無言の時間に外ばかり眺める。見知らぬ家や街がどんどん遠ざかっていく。彼らはずっとそこに留まっているのに、私は一体どこまで行くんだろう、とよく想いを馳せていたように思う。そして、留まっている人々の暮らしを想像したものだった。

 

最近更新してなかったけど、時々記事を書こうとしていた。下書きのままになっている記事がいくつかある。一度途切れると書けなくなる。気が向いたら編集してアップする。私はなかなか気が向かない。意外に重たい内容を書いたことが運の尽きだ。

もっと軽い気持ちで吐き出せる方がいい。一生懸命書こうとすると筆が止まる。

 

ずっと心に留まっている、アンカーのような事を書き出そうとすると特にそうなる。それらは軽い気持ちでは書けず、書いている間に新しい事に気付いてしまったりする。いつまでも終わりがない。だからこそ心の底によどんでいる。多分それらは、吹き飛ばされていく景色の方なんだ。動き続ける自分と共にいつもそばにあるものではない。

 

心の中に点在する重たいよどみに向き合うのは腰が重い。下書きになった記事はまた少しずつ向き合いたい。重たくても大事なものだから。よどみを紐解くと、少しラクになる。車窓で後ろに吹き飛んでいく景色のように、何かから解放される。