日々の雑文

アラフォー独身OLが生き方に惑ってるブログです。

行き着く先は、ただ文章を書くことな気がする。

私は広告業界にかれこれ13年くらい身を置いている。「くらい」と書いたのはその前の仕事が広告と言っていいのかがわからないからだが、さらにその前は全く違うことをしていた。そんな過去のことはまあどうだっていい。

 

どうだっていいと言いながらさらにその前を遡ると、私はずっと文章を書く仕事に就きたいと思っていた。私の大学時代は就職氷河期真っ只中。将来の夢を無邪気に語ることができない冷たい時代だったと、振り返ってみて思う。昨今の大学生が無邪気に夢を語っているのを見るとキラキラと眩しい。猫も杓子も公務員を目指した私たちの世代にそんなこと言ったら、大人はもちろんたとえ同級生相手だったとしても、「はぁ?」と薄ら笑いを浮かべられたに違いない。

「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ポイズン」は、実は当時の世相を色濃く反映した名言だったと今更痛感する。でも別に、当時思っていたことをそのまま言ったって何ら問題なかったと一方では思っている。当時を憂いて今を批判したり、社会とか政治に文句を言いたいわけではない。いつの世であっても、薄ら笑いを浮かべているような奴らは放っておけばいいだけなのだ。

 

紆余曲折を経て、私は広告営業をすることになる。「文を書く」という行為に近いような気がしたことと、「営業=売る」ことができれば世界中いつどこに居ても食べていけるんじゃないかと考えて選んだ。「文を書く」についてはなかなかビンゴだった。しかし「営業=売る」については、結構な精神修行を強いられることとなった。既にあるもの、誰もがイメージできるものを売る行為とは全く違い、「ないもの」を売るのは至難の技なのだ。

 

営業時代のつまらない苦労話はまたいつかどこかで書くとして、広告の仕事というのは、外部の人からするとちょっとわかりにくいものである。広告の仕事をしているというと、「チラシとか作ってるの?」と聞かれる。もちろんチラシを作ることもある。しかし、広告業に従事する人でチラシを作りますと申告するのは、折り込みを専門にしている会社の人だけだと思う。広告というのは実に幅が広い。なんていうか、一般の人には気付かないところから「広告」は始まっているし、見聞きして興味を持つものは広告屋が仕掛けたことであるケースも多々ある。気付かないところから生活に入り込んでいるのが広告なのである。

 

そういうわけで広告屋の仕事というのは、あらゆる繋がりとか流れに敏感にならざるを得ない。風が吹けば桶屋が儲かるを予測し、他者に説得していく仕事である。信頼度が上がると説得不要となる。「風が吹くとね、桶屋儲かってるでしょ?」と言われると、「たしかにそんな気もする」と思わせられるようになるのである。

 

私自身の話に戻りますと、そういった物事の繋がりや相関関係を元に分析し予測を立てることは嫌いではないのだが、決して得意とは言い難く。また、途中途中で余計なことを入れ込んでしまうものだから、なんだか支離滅裂となってしまう。人に伝える段階ではキレイに削ぎ落とされ無駄のないものを提案するのだが、実はそこに至るまでは、浜松駅から静岡駅に行くのに、豊橋飯田線に乗り換え長野をぐるっと経由して富士辺りまで出てきて東海道本線に乗って静岡駅に到着したくらいの大回りをしているのである。時には、本来辿り着かせたかった静岡駅ではなく甲府あたりに行ってしまって、さてどうしたものかと途方に暮れることもある。都会で例えると、東京駅から神田駅に行くのに品川方面の山手線に乗るようなもので、それでも神田に着ければいいけれど、新宿あたりで何を思ったか中央線に乗り換えてしまい、甲府に辿り着くようなものである。

 

それが広告屋の仕事なのだが、実はそれにほとほと疲れてしまったのが昨今の私である。

ターゲットは誰、伝えたいことは何。ただこれだけに専念したいのである。

「大人の事情」という都合のいい言葉により、わざわざ愛知県や長野県に入りたくないのである。東海道本線の上りに乗ればいいのである。あわよくば新幹線で行きたいのである。

 

ディレクターという立場はスムーズに事を進めることが役割ではあるのだが、いろんな事情で大回りしなければいけないことが多い。

最終的にやりたいことは、やっぱり自分で書くことなのだと気づき始めた今日この頃。広告の仕事は面倒ながらも楽しいし、自分が文を書かせてもらえる機会はほぼ広告絡みである。いろいろ業務を遂行する中でも、書く行為が一番楽しい。大回りをすることはあっても、それを素直に楽しめる。

 

目的に沿った文章を書く。納品物はテキスト。

私は、「書く」をメインにした仕事に今後はシフトしていきたいのです。