日々の雑文

アラフォー独身OLが生き方に惑ってるブログです。

ワルグチ

悪口。

それを本人が聞いたら傷ついてしまうであろうことは、

本人の知らないところでこっそりと語られる。

普通は。

 

その本人でなくても、それを聞いた第三者である受け手は、

内容によっては不快に思う。

耳を塞ぎたくなる言葉や憎悪が満ちていることもある。

悪口を発している人は案外気付けない。

 

悪口を発している人は、自分を正当化したくて仕方ないから。

悪口の対象者よりも、自分が優れていることを示したいから。

もはや「悪口」の認識もなかったりする。

 

私も言う。

私にとっては、「遭遇した出来事」で「困った人に手を焼いた話」でも、

受け手にとっては「悪口」かもしれない。

 

私は、言霊を気にするあまり

“前向きな言葉しか発することができない呪い”

にかかってしまっている人のことを好まないけど、

悪口によって言霊の悪影響を受ける事態も好まない。

 

気をつけよう。

 

 

 

それで、ここからまさかの「悪口」が始まる。

 

ここしばらく、

「自分の将来を憂いたところ、今この人と一緒にいることが良い選択かも知れない人」

と仲良くしていた。

「共通の知人達からの評判の良い人」だったので、

「第三者から見た時に悪く言われない人」だと、私は考えた。

 

だけど、少々居心地が悪かった。

その人の選ぶ言葉・・・特に、嫌悪を示す時の言動が苦手だった。

おそらくその人も、私が選ぶ言動に相容れないものを感じていたのではないだろうか。

 

ある日、決定的な食い違いが起きてしまい、それ以来連絡を取っていない。

その時のその人の言動も私を困惑させた。あちら側も困惑したのだろう。

もしも連絡が来たら何て言おうかとハラハラしていたけど、時間が経つにつれ、

その人と接触しないことで気楽で身軽になった自分に気付いた。

その人がいなくなったことで、自由になってしまったのだ。

自分で思っていたよりも、本当は苦しかったのだと気付いてしまった。

 

私が、その人の苦手な部分をもう少し詳細に書いたら、

独りよがりの悪口かもしれない。

私にとっては、私の精神を脅かす大変なことだったけど、

おそらくその人にとって、あるいは共通の知人にとって、

さらには第三者にとっては、悪口だったかもしれない。

 

だけど、そのことに向き合えなければ、私は違和感を抱えたまま

口をつぐんで苦しんでいたかもしれない。

 

悪い部分を突き詰めて、自分で思い返したり、

何らかの事情で誰かに伝えるために

言葉にして認識しておくことは、多分悪くない。

いけないのは、自分の正しさを認めさせるために殊更に強調すること。

 

気をつけよう。

それをつい、してしまうから。

 

自分の正しさを知ってほしい時にも、

細心の注意を払って、慎重に。