日々の雑文

アラフォー独身OLが生き方に惑ってるブログです。

うつっぽい気持ち

この数ヶ月間、ちょっとうつなんじゃないかと思っている。

私はうつ病と診断された過去もないし、うつ病経験のある先輩からは「鬱かも?と思う内は鬱じゃない」等言われており、その観点からするとうつではないように思う。

しかし、ここ数ヶ月間、何においてもやる気が起きず、仕事をしたり朝起きたりのルーティンにやる気がないのはもちろんのこと、ご飯を食べるのも全然テンションが上がらない。

やる気のなさは部屋の様子に特に表れており、部屋は散らかっている。片付けたい。まずは部屋の一角、何か一つでも片付けようと思う。しかし、そのちょっとの行動すらやる気が起きない。元々ズボラな性格ということもあり、自覚しにくいのだけど、ちょっと通常とは違うメンタルなのではと疑い始めているところである。

 

何だか気分が落ちているというのは間違いない。その原因も、何となくこの辺かなと目星はついている。

それならば、そこを改善すればいいようにも思うが、どうにも解決の糸口がない。解決どころかむしろ悪化。手詰まり感が否めない。

生々しく記載するのは今は避けたい。簡単にいうと、目下人生の目標としていたものを失いつつあり、途方に暮れている。辛い。

 

最近の心理テストではないが、行動や思考の基盤が「自分軸」の人と「他人軸」の人があるという。私は完全に「他人軸」の人間である。心理テストとしては、いくつかの質問を経てそのタイプが決まるのだが、私はテストをやらなくても他人軸であることは自覚しているし、質問を経てももちろん他人軸。

 

遡れば、幼少期から周りの言動を見て自分の身の振りを決めていた。思春期の頃は、行動や思考の根幹は父親がどう思うかだったし、社会人になってからも、誰かのため、誰かが喜ぶから、誰かに見せたいから等が行動の基準となっていた。友人と遊ぶ時も、友人が何をしたいかが主軸にある。

顔色を窺っているとかそういうのではない、他人の喜びが自分の喜びなのである。

それでも、自分のやりたいことも時にはあって、一人であれこれするのだが、「単独行動」なのである。自分のやりたいことは全て一人で行う。他人がいたのでは、自分のやりたいことができないからである。

 

年齢を重ね、あまり自分がやりたいことというのが減ってきた。コロナ禍も手伝って、行動範囲が狭くなっていったし、人とも会わなくなった。そう、人と会わなくなったことにより、自分の喜びがなくなってしまったのである。

自分のやりたいことは一つしかない。しかし、それも叶いそうもない。

さらには、人と会わないから新たにやりたいことが浮かんでこないのである。

 

その考えに至り、あぁ、だからか・・・と、思った。

人に会わないことで、鬱々としているのだ。それが、ただ一つの目標も叶わないことで、余計に鬱々とした。人と会わないから、それ以外の目標も見出すことができないのである。

 

さっき、久しぶりの人に会った。前向きな場であった人たち。偶然にも、その時の他の知人にも会い、少し会話をすることができた。

 

「コロナが落ち着いたら会おうね」

なんて、最近の挨拶の常套文句みたいになっているが、コロナが落ち着いた暁に人と会っていたのでは、私は死んでしまうのではないかと思う。

私はどうも、人と会わなければ、人生を前に進めていけないタイプの人間だったのだ。

 

今更そんな人間であることに激しく後悔するも、後の祭り。

コロナ禍では難しいが、それでも積極的に人と会っていかなければ、たった一つの目標とは違う別の目標を作っていかなければ、本当に私は死んでしまうと思う。

 

一方で、一つの目標が叶わないことが私を鬱々とした気持ちにさせており、人に会いたくない気持ちを増長しているのも自覚している。

 

それもまた苦しい。

でも、人に会った方が、そのたった一つの目標の呪縛を離れ、もっと前向きに生きられるのではないかと思った。

 

とりとめのない乱文だな。。。

うまく整理できていない。でも吐き出したい。この気分はずっと苦しい。

うつっぽい気持ちから抜け出したい。

 

 

セブンイレブンから差し入れをもらった話

昨日、12/25(金)の出来事です。

終業直後の18時頃、まだもう一仕事こなさなければならず、異様に甘いものを欲していた私は会社の近くのセブンイレブンに行った。

会社の最寄りなので、うちの社員もたくさん行っている。

お昼時によくいる顔馴染みの店員さんが夕方にもいた。

 

店員「まだ仕事するの?」

私「はい、まだもうちょっとしますね」

店員「大変ねぇ、何人くらい残ってるの?」

私「まだ結構いますよ」

店員「じゃあ、大袋のお菓子がいいわね」

店員さんはいそいそとお菓子を選び始め、「差し入れ!」と私に持たせてくれた。

 

「えぇぇ〜、そんないいですよ」と断ったが、レジに人が並び始めたので問答を続けるのも悪く思い、素直に頂戴した。

 

問題は、それをどう配るかである。

まだ社員は結構残っており、皆に配るのはめんどくさい。

だからといってセブンには毎日誰かしらが行っている。差し入れをいただいた事実を誰も知らないのはまずい。昨日で仕事納めの企業も多い中、弊社は月曜日もまだ営業中なのである!

 

あ〜、めんどい。と思いつつ、結局個別に配って回った。

「何これ?なんのお菓子?」

セブンイレブンさんからの差し入れです」

「は?そんなことあるの? 何で?」

「・・・哀れに思われたんじゃないですかねぇ。。クリスマスプレゼント的な!?」

個人商店ならともかく、セブンイレブンのようなお店がそんな在庫管理に反するようなことをするとは思っていないのである。

 

おそらくその時いた30名ほどの社員に配って回った。

珍エピソードも交え、みんな喜んでくれた。面倒だったけど配って良かった。

たまにはいいこともあるものだ。

 

 

深夜のマックで歌う人

誕生日。何となく一人で部屋にいたくなくて、深夜のマクドナルドに来た。

一人でいたくないわりに、人の多そうな店舗を避け、郊外の24時間営業のお店に来た。

 

現在店内には私の他に二組の客がいる。

三人組のテーブルはおそらく同じ会社の同僚のようで、職場の問題点について真剣に議論し合っている。

 

あとは女性が一人。大きめのノートパソコンを広げて、電源も繋げて、何やら作業をしている。

なのだが、この女性が先ほどから忙しなく動いている。トイレ?ゴミを捨てに行ったり?

帰るのかな?と思いきや、まだ座る。立ち上がる。落ち着かない。

と思ったら、突然私の背後で歌い出した。

歌は、浜崎あゆみの歌。タイトルは知らない。

♪今日がとても楽しいと明日もきっと楽しくて

みたいなサビの、有名な歌。

 

音程もちゃんとしていて下手ではない。まあ上手い。

店内にはBGMも流れている。こんな中でよく歌えるな。

いや、他の音が邪魔するかどうかではない。こんな中でよく歌えるな。

誰かとオンラインで繋げて歌っているようである。

とはいえ、なぜ、いま歌う必要があるのだ。

 

・・・通話の相手は、明日大手術を控えたこの人の母で、勇気づけるために歌ったのかもしれない。

とか、考えてみた。

 

こんな場所で緊急で歌を歌わなきゃいけないなんて、きっと何か重大なことがあるのだ。

多分・・・

 

しかし、その女性はいま、誰かとメッセージのやりとりをしながら笑っている。

ものすごい引き笑いをするので、最初泣いているのかなと思ってそっと見てみたら、ディスプレイを覗き込みながら必死で笑いを堪えているようである。

病気の母を励ますという私の予想は外れた模様。

 

それにしても、誕生日にお祝いのメッセージを受け取ることも年々減っているなと思う。

以前は、仲の良い友人やその時付き合ってる男の子とかが日付が変わると同時に何か送ってくれたものだが、誕生日開幕から現在1時間経過したけど誰からも何も来ないぞ。

みんな、誰かの誕生日を口実に何かはしゃぎたかっただけなんだろうな。

 

誕生日って何なんだろう。

歳も歳だし、祝ってほしいわけではないのだけど、何もなければないでちょっと寂しい。

 

何だか変な1日のはじまりだな。

そろそろ帰って寝ようかな。あんまり眠れそうにないけど。

 

 

亡き父の夢

※ブログタイトルを変えました。ふわふわした感じから脱却。

 

11月はなかなか書けなくて苦しんだ月でした。

前半は某家庭用設備メーカーの案件で、

後半は某産業用ソフトウェアメーカーの案件で、

ずっと進められずに苦しみました。こんなんじゃお客が減る。

気持ちの緩み、集中力の欠如、スキルの不足、危機を感じています。

 

昨日、通っている英会話でいつもとは違うクラスに行きました。

そのクラスのレギュラーメンバーは二人とも大学生。

普段は大人ばかりのクラスで受けているため、なんだか気後れしました。

耳から入れられた情報の吸収力の違いを見せつけられました。

文法力や単語力はあまり変わらないのだけど、聞いたものをそのまま受け入れる力が全然違う気がしました。

若さとは“耳の良さ”と“聞こえたものを素直に反芻できる力”な気がします。

これは英会話に限らず、いろんなことに当てはまると思います。

 

そんなこんなで自身の衰えを突きつけられつつ、ついに12月を迎えてしまいました。

今年は何も始まらないうちに終わってしまうような感覚すらします。

しかし、冷静に考えると私としては潤いのある年ではありました。

あっという間だったけど、濃いには濃かった一年。

 

さて、今朝、夢を見ました。

私の兄がなにやら心配事を口にしていました。何を言っているのかは不明です。

隣の部屋に行くと父がいます。現実の世界では既に他界している私の父です。

夢の中の父は非常に奇怪な容貌でした。頭しかないのです。

父は気分良く饒舌でした。生前の父よろしく、タバコを吸っていました。

とても短くなるまで吸い、タバコを指で灰皿に押し付けていました。

首から下がないのにどうやってタバコを吸い、揉み消したのか意味不明ですが、夢なので。

そして、父は私に言いました。「今度、あそこの山に行こうな」

 

目が覚めて、久しぶりにみた父の夢にしばし呆然としました。

何か悪いことが起きるのか? でも珍しいことに父は機嫌が良かった。

他界後の父はいつも心配そうに私の夢に登場していました。

その点はいつもと違います。

たまにはいいことを知らせてくれたりもするのかな。

 

一方の母は、どれほど望んでも私の夢に出てくることはほとんどありませんでした。

子供の頃は夜な夜な母の夢を見たいと願ったものです。

母は亡くなって30年以上経ちます。それでも、片手で数えられるほどしか夢に出てきたことがないのです。

 

特にオチはありませんが、今日の日記です。

今日の…といっても、実はこれは12月1日に書きました。

 

父が行こうと言った山がどこなのかはわかりませんが、とりあえず山にドライブに行ってみようかなと思います。

 

 

 

震えるほどの怒り(ただの日記)

怒りで震えたことってありますか?

 

私は昨日、それを体験しました。

あることを知って、目の焦点が合わせづらくなり、手先に力が入らなくてふるふると弱々しくしか動きませんでした。口元からは何か言葉が漏れそうなのに、だからといって脳内は思考が追いつかず実際は言葉が出ません。口元をきゅっと結んでおかないと、何かが漏れ出てきそうです。

頭の中は騒がしく、得体の知れないものがバサバサと飛び交っているような気分でした。集中できない。

 

それが「怒り」なのか実はよくわからなくて、漠然と「ショックを受けた」という方がしっくりきます。

 

相手を責めるべきなのかもよくわかりませんでした。

相手は悪いなんて微塵も思っていない(あるいはその素振りをすることに長けている)ため、怒りをぶつけたところで暖簾に腕押し。勢いよくぶっ倒れることは即座に想像できました。

 

「怒り」や「ショック」はこれまでだってたくさん経験しているわけだけど、

スローモーションのようにそれをなぞることができたのは初めてでした。

私も大人になって、少しは落ち着いて考えられるようになったのでしょうか。

それとも、感情と言語中枢の伝達が加齢により鈍くなったのでしょうか。

 

起きた出来事に対して怒りを感じた以上に、その出来事の周辺事項・・・例えば、その事実を知らされた方法、それが起きた経緯、関係する人物など、それらによっても怒りが増幅していました。というか、むしろそれらが怒りの対象でした。

出来事そのものは同じでも、相手からきちんと報告を受けていたり、その出来事に登場した人物が別の人だったら、それほど怒りを感じなかったようにも思います。

 

核となる出来事そのものも嫌なことに違いはありませんが、その構成要素への嫌悪がすごかったみたいです。

・・・と、まるで傍観者のような口ぶりで書いていますが、この出来事により、その他のことへの嫌悪感を改めて気付かされたので、自分としては発見でもあったわけです。

「えー、私、この人のことこんなに嫌いだったんだ!」

という具合に。

その傍観っぷりから、「あー、人って怒りで震えるんだ。すごい」なんて思ったりもしていたのです。

 

 

相手は私がそれほどの怒りを感じていることに恐怖を感じているようで、「こわい」と言われました。

面と向かって(実際はメッセージのやりとりですが)「こわい」なんて言われたことはあまりないため、それはそれで悲しくなりました。

私は相手の行動に傷つけられた上に、怖がられることでさらに傷つけられました。

 

相手のことをここで非難するために書いているのではありません。

少し時間が経過したことで、その出来事のさらに周辺のことまで思いが及んで、いろいろなことを考えています。

相手のこれまでの言動や私の扱い方、今回嫌いだと確信した人物の一体どんな部分が好きになれないのかなど。

日々様々な人と接する中で、少しずつ小さな歪みは生まれます。いつもしっくりぴったりなんてことはないわけで。

大なり小なり、その相手にも小さい不満があったし、嫌いな人物とのやり取りの中でも何か違和感があった。

 

それらの歪んだ欠片たちがどういうわけか一気に集約されてしまったのが、今回の出来事だったんだな、多分。

まるで爆弾みたい。

 

どうして急にその爆弾が投下されたんだろうな。

全部の歪みを我慢して呑み込んできたのに。

私の座右の銘は「清濁併せ呑む」だぞ。なんにも呑み込めてなかったんだな。

 

 

あ、私、ムリしてたんだ・・・

 

 

これからどうしようかねぇ

 

 

 

 

 

 

ATSUGIタイツの日の炎上について

昨日11月2日は「タイツの日」なのだそうだ。

そこでストッキングメーカーのアツギさんが「#ラブタイツ」企画を実施。

様々なイラストレーターさんがタイツをはいた女性を描くというものである。

これが“女性を鑑賞物として扱っている性的消費だ”として炎上したということらしい。

 

私がこれを知ったのが本日11月3日。

昨日もTwitterを眺めていたというのに全然気付かなかった。

強めの論調が飛び交っている。そもそもどんなイラストが上がっていたのかまずは見てみよう。

こちらのサイトが見やすくまとまっていると思います。↓

matomame.jp

 

これは・・・、いつかの、東京メトロ駅乃みちか』萌え絵炎上事案と似ています。

こちらの方が書かれたブログがわかりやすいと思います。↓ 

zatrendnews.com

 

 

アツギ件に戻ります。

 

これは、炎上納得です。

 

私もタイツをはく女の一人として、「#ラブタイツ」イラスト群を見て嫌悪感を覚えました。

中には嫌悪なく見られるものもありますが、タイツをはいていなければ完全にパンツが見えるであろうシチュエーション、太ももがあらわになっている絵はアウトだと感じました。“タイツの良さ”ではなく、女性の肉体にフォーカスされていると思います。

“タイツをはいていることで無防備になっているカワイイ女子”を描いたのだろうと思いますが、フェチを見せつけられているようで引いてしまいます。タイツって股を隠すためにはいているのではないですし、タイツをはいたからって見せてOKではないですよ・・・?

それに、タイツにしては随分薄くはないですか? 30デニールくらい? 完全にストッキングを描いているものもありますし、黒以外のカラータイツが皆無な時点で、「#ラブタイツ」企画としてよく練られていない感(=女性にとってのタイツの良さを訴求していない)は否めません。

 

こういう絵を見て男性が喜ぶのか、はたまた男性を喜ばせる目的で描いたのか全くわかりませんが、“エロい目線”で描かれたことは事実でしょう。

「エロのつもりではない」と主張されるかもしれませんが、各種ハラスメント同様、受け手側がエロいと感じればエロでしょう。本来女性が見せないようにしている箇所を、男性に都合よく意図的に見せていますし。

「これをエロだと思って見る方がエロいのではw」と勝ち誇ったように嘲笑しているコメントも見受けられますが、これをエロと認識できない人は、タイツ一枚で公道を歩くことをいとわないタイプの人なのでしょうねわかります。

 

世の中のエロや嫌悪の境界線は曖昧で、人によって異なります。だから日夜様々なトラブルが起きています。

しかしこの件に関して意見を述べている方々の多くは、“タイツをはいた女性をエロい目線で見ている人”を糾弾したいわけではないと思います。

これらのイラストがエロいことはまた別問題で、この炎上は論点が違います。

 

「タイツをはいた女性をカワイイと言うだけで炎上してる。フェミニスト怖い!」

と、問題の本質をはき違えているコメントも散見されるのも炎上に拍車をかけています。本質を理解せずにフェミニストを叩きたいだけのアンチ達。

タイツをはいた女性が好きな人は、引き続き好きでいればいいし、自由に描けばいい。それを誰からも批判されることはないでしょう。

 

炎上の理由・問題の本質は、アツギ社がこの企画を行ったことです。

 

“タイツをはいた女性をエロい目線で見ている人”の存在を、タイツメーカーであるアツギ社が推奨しているわけです。

タイツのユーザーは主に女性です。現に「#ラブタイツ」のイラスト群は女性のイラストしかありません。女性の中にはエロく見られるためにタイツをはく人もいるかもしれません。しかし、多くの女性はエロく見られたくてタイツをはいているわけではありません。

「タイツはいてるの!? エッチだね。はぁはぁ」と反応する人がいたら通報ものです。タイツは、ガーターベルトTバックとは違います(これらには機能的な目的もあるので、その目的で活用されている方には心外かもですが・・・)。

タイツは決してエロいアイテムではないのです。

 

これが、“ATSUGIから出た新ラインナップ、エロをコンセプトにした商品”のPRであるならばわかります。特定の商品「エッチな魅せタイツ」とかね。(そんなん売れるのか知らんけど)

この「#ラブタイツ」はそうじゃない。タイツ全般のことをラブだと言っています。

その上で、本来は特別エロを感じさせるアイテムではないタイツの存在に、わざわざエロを感じさせるアイテムだという気付きを与えてしまったのです。

 

例えば、肩掛けのショルダーバッグが食い込んで胸を強調してしまう「パイスラ」のような気付きです。これだって嫌悪を感じている女性は少なくないと思います。胸を強調するためにショルダーバッグを使用しているわけではないのに、「パイスラ」という言葉があることで他者から意識されてしまったり、自らも意識せざるを得なくなるのです。ショルダーバッグは全くもってエロいアイテムではないはずなのに、これを使用することでそのような目線にさらされることになりかねません。これは、誰かしらが自然発生的に言い出したことだと思うので、どうしようもないことです。

しかし今回の「#ラブタイツ」はアツギ社の企画なので、アツギ社が発信者です。つまり、そこに描かれた絵は、アツギ社の見解であり視点なのです。

 

この炎上は、

“タイツをはいた女性をエロい目線で見ている人”が嫌なのだと訴えているのではありません。

“タイツをはいた女性をエロい目線で見ることを肯定しているアツギ社”がキモいのです。

(※これらのイラストに罪はないと思いますが、“タイツをはいた女性をエロい目線で見ている人”が嫌な人も多くいます。ここでは、今回の炎上の原因についてお話しています。)

 

・・・アツギ社にとってタイツはフェチを満たすアイテムだった?

 

お前ら、そういう目線でタイツ作ってたんか・・・!

という衝撃。

企業姿勢そのものが一気にキモくイメージダウンしてしまいました。

これが炎上の核となる理由だと考えます。

 

 

と、ここまでを午前中書いていて、

この後に広告業界と企業SNSに関するよもやま話を書こうかなと思っていたのですが、

夜になり気づいたらこの炎上によりアツギ社が謝罪文を出すところまで膨れ上がっていました…!

すごい。やはりそれほどの嫌悪感だったのだなと実感。

 

 まぁ、あんな企画がギリギリ許されると思っていたあたり(許されると思っていたから実行したわけで)、ジェンダーに関する意識が低すぎるのは否めないです。

ただ、男性目線のような表現ではありますが、女性ターゲットの商品の広告担当者の傾向からして、女性担当者の可能性も十分にあり得るかと思います。

あそこまでの表現が上長承認を経て実行されてしまったあたり、“際どいけど女性発信だから良いのではないだろうか”という甘さがあったのではないかという推察もできます。

むしろその線が濃厚かも。いくら男性の力が強い会社だとしても、昨今あのような表現をすることは極力避けると思いますし、女性向け商品の女性担当者って、なぜか発想が男性化する傾向があるのです。

以前、女性向けアパレルの仕事をしていた頃、数々の女性担当者と仕事をしましたが、男性のような目線で自社商品や、自社商品を着るモデルのことを語り、愛でる人がいました。可愛いとかエロいとか。文字にするとニュアンスが伝わりませんが、男性的なイメージで発するのです。「こういうのが良いんでしょ?」と言わんばかりの、女性に対する上から目線な感じ。一人称が「俺」になる始末。時にちょっと気持ち悪かったです。これについては少し思うところがあるので、またいつか考察を書きたいと思います。

 

 日本は(私は主に日本のことしかわからないですが)、ナチュラルな女性軽視が横行している社会です。

「男女不平等はない」と言い張る方もいますが、それは気付いていないだけです。

ナチュラルな“と書いたのは、気付けないほど自然に、当たり前に日常生活に溶け込んだ女性差別だからです。男性のDNAに組み込まれているといっても過言ではないほどに。さらには、男性に感化されてなのか、それともこちらもDNAに組み込まれているのか、女性までもが同じ女性を軽く見てしまったりするのです。

そう簡単にそれが改善できるとは思っていませんが、今回このようにきちんと炎上してくれたことは、この”ナチュラルな女性軽視“が顕在化し、言語化されてきている兆しなのかなと思います。

 

 女性が…女性だけでなく男性も。どちらかの性を嫌悪したり蔑んだりせずに、「みんな」が尊厳をもち生きやすい社会に。

そんなことを思うタイツの日でした。

 

『別の人の彼女になったよ』に見る男女差

夕方ラジオを聴いていたら『別の人の彼女になったよ』という曲が流れた。

このタイトルは以前耳にしたことがあり、随分な当てつけだなぁと思った記憶がある。

まぁ、、このフレーズを元カレに発信するかどうかによって印象は異なるとは思う。

 

 ・元カレに言っちゃう→なんというかまってちゃん!

 ・自分の心に留めておく→未練たっぷり

 

だと思う。私の場合は、脳内で思うことはあっても、相手に発信することはないであろう。

 

それはまあいいとして、

ひとしきりこの歌が流れた後で、ラジオパーソナリティの男性が放った一言。

 

「今の彼氏のことをわざわざ言われて、最初からイライラしました」

 

 お、おう…、そうですか…。

タイトルのみでは自分も似たようなことを思いつつも、歌を聴いた後ではせつない女心を感じとっていた私は、この男性の一言に軽くずっこけた。

 

すると、一緒に番組を進行している女性パーソナリティから盛大なダメ出しが入った。

 

「女心をぜんっぜんわかってない!!!」

 

そこからその女性による解説へと突入した。

 

ご興味のある方は歌詞を調べてみてくださると良いかと思います。

 

先に「せつない女心」と書いたのですが、「せつない」と一言で片付けるのも少し複雑な感じなのです。

 

「別の人の彼女になったよ」と言いつつ、別の人の彼女でいることはだいぶ苦痛みたいなのです。元カレと比べ過ぎているせい…のような展開ではあるのですが、さてはて、元カレの存在がなかったとしても、なんとなく居心地が悪そうな今カレとの関係。

で、「別の人の彼女になったから、あなたも別の人の彼氏になってね」なんて言っているのですが、これってなんとも辛辣なメッセージだと思うんです。

元カノに言われたら傷つくし、なんだかもやもやとしたしこりを残す。そのため、言われた方はそのメッセージの意図を正確に汲み取れないと思われます。

 

考えられることは二つ。

・あなたも別の人の彼氏になることによって、私を思い出して。そして後悔すればいい。

・(別の人の彼氏になってねと言いつつ)別の人の彼氏にならないでね

と、いうような女心でしょうか。。。

 

うーん、気持ちはわかるけど、もしもこれを元カレに言った場合、かなりめんどくさい女認定されてしまう気がする。

 

そういう気持ちはあるけど、心に留めていることを歌詞にした、ってところかなぁ。

やっぱ現実問題、これは言えない。言われたくないと思うし。。。

どんな事情でお別れしたのかはわからないけど、言うべきじゃない。

 

なぜならこの歌詞、圧倒的に今カレがかわいそう(;_;)

 

別の人の彼女になったこと自体が当てつけ。。。

結果、今カレも元カレも、自分自身も傷つけていて、誰一人として幸せになれないなと思いました。

 

 

で、この歌詞を書いているのはどうも男性のようなのですよね…

すっごいな。

メンヘラさんとお付き合いされてたのかな…