感情はあらわにした方が良いの?
実にくだらないことに、失恋した。
くだらない理由はいろいろあるけど、少なくとも、失った恋を偲んでおいおいと泣く状況ではない。
相手はずっと私に「責められていた」のだと主張する。
私はそれについて、「責められたと思われるのはわからないでもないけど、責めたわけではない」という認識である。
責められたと感じるのは主観だし、責めました・責めてませんなどの議論を重ねたところで何の意味もなさないのだが。
「女は主観で責める。我慢しない」
そのように相手の男性は声高に主張した。(実際は声ではなく文字のやりとりだが)
そこから不毛な議論を重ね、また新たな主張のような教訓のようなものが浮上する。
「言葉を駆使して責められるのなら、『死ね』と言われた方がマシ」
その真意は、責められているということが即時わかるからであるとのこと。
私の責め方はわかりにくい上、辛辣なのだそうだ。
そこで私はひどく傷ついた。
私は、感情を表に出すのが非常に下手な人間である。
加えて、「女は感情的である」という批判を大いにされて育った。
私は、私以外全員男という環境で育った。
ゆえに女性が家庭内でどのように感情を表現する生き物なのか、あまり見ずに育った。たまに女性ばかりで席を共にする時は、自由奔放な感情表現に圧倒され、私はかなり無口になる。そんなわけで感情的にならないようにコントロールしてしまうのが平常運転である。
どうもそれが余計に言葉の辛辣さを増長し、言われた相手は傷つくのだという。
・女は主観で責め立ててくるのでウンザリ
・感情的に責めてくれた方がマシ
この二つ、相反するようではあるが、よくよく考えると「主観」と「感情」は別物なので、両者は同時に成立するのかもしれない。しかし、私からするとこの二つの両立はちょっと混乱する。
私なりの解釈では、それは責められたくないとも言うより、ジャッジされたくないということなのだろうなと思う。
「あなたはズルい」とか「あなたは私をバカにしてる」とか、何らかの説明を付与されたくないのであろう。
おそらく、「ムカつく!」とプンプンするのが正しいのだろうな。上記の両立は。
そして、ムカつく理由はあまり詳しく述べてはならない。
要するに、世の男が主張する「女は感情的である」は、
感情的であることで困っている、手を焼いている、引く、やめてほしいという意味ではない。
男にとって女が感情的であった方がラクだし、都合がいいのである。むしろ感情だけでいいのである。理論的な会話とかされたくないのである。
負の感情より良い方の例で考えた方が良いかもしれない。
「たのしー!」「おいしー!」「うれしー!」
この感情が素直に出てる方が単純に場は和む。それを提供した側も嬉しくなる。
別に具体性なんて要らない。感情のままはわかりやすいし気楽。
「怒ったぞ!プンプン」と言った方がわかりやすいんだろうね。(くだらな・・・と思うその心こそが男性には怖いのだろうな・・・)
しかし、私にはどうもそれがうまくできない。
幼少期よりそれを封印して生きてきたせいか、今更わかりやすい感情表現ができないのである。(但し、よく顔に出てはいるらしい。)
相手に上記2点を言われ、
「今更なぁ・・・」と、心底がっかりした。
いまだにこんな所でつまづく私。
感情的にならないように、「これだから女は・・・」と批判されないよう気をつけて生きてきたというのに、今更、解釈が間違っていたことに気付かされた男女の掟。
今更、感情を素直に表現するなんてできない。
私は今回、相手の多忙な状況を見て、ワーワー文句を言わないように気を使っていたくらいである。たまにその限界がきて、連絡がほしい等を訴えることはあった。多忙な割に○○を□ったり、△△を※※※にいったりしているところを見ると、怒りに震えるしかなかった。それでさえも、私は概ね我慢した。
(私が誰かわかっている方には相手の方の身バレ可能性が高いので行動内容を伏せることにしましたw)
もう、私に恋愛はムリ。況や結婚をば。
そう頭によぎった。
と同時に、なぜだか急にこのフレーズが思い浮かんだ。
本当はあなたの目の前で思い切って
泣いてみたり 笑ってみたり 怒ってみたりさせてほしかった
20年くらい前に一世を風靡した鈴木亜美さんのデビュー曲『love the island』である。
今更ながら、ものすごい共感。
私の恋愛及びコミュニケーション能力が幼稚なのか、小室哲哉がすごいのかはわからない。
わからないけど、私が今回思うことはまさにそう。
アミーゴ、かわいかったなぁ。